元保健所職員の新型コロナ対応奮闘記⑤

最終話  障害年金、成年後見、遺言、親亡き後の社労士/行政書士の奮闘記

最終回にあたり 
 今回でコラム本編は最終回となります。久々の行動制限のない年末年始となり、街の賑わいも報道されていました。1月21日新聞報道によると、「コロナ4月にも5類」という見出しで「岸田首相が二十日5類に引下を指示した」と一面トップ。しかし、1週間前の同じ新聞一面には、「コロナ死者過去最多なぜ更新」という見出しで、未把握の感染者増の影響でおそらく感染規模は第7波を超えているのではないかという内容でした。こうなってくると、5類への緩和は政治日程的な意味合いになっているのではないか、と思わざるを得ません。既に2類の扱いからは程遠い対応に変わってきており、5類移行が間違っているとは言い切れないものの、インフルエンザと違って治療薬が未だない中で、医療機関や地域社会が、陽性者に対し差別的なことがおきたりしないよう、準備等をしっかり行って貰わなければなりません。

保健所の歴史 
 
 横須賀市は元々3か所あった保健所を平成9年に一つに統合しました。全国で、行政改革という名のもとに、保健所が統廃合されたことが、いざというときに困ってしまう原因だという議論もあります。ここで、少し保健所の歴史を記しておくと、最初の保健所法制定は昭和12年という戦前に遡ります。当時の富国強兵論で、日本人の体格を大きくしようという発想から、体力管理、母子衛生、優生保護、栄養等を担当するため設置されたと言われています。ラジオ体操などもそのたぐいです。戦後昭和22年に新しい保健所法が制定され、警察が担当していた、伝染病等防疫業務が移管されました。このように初期の保健所は、結核や性病等の感染症の流行を、社会防衛するために取り締まるという組織と考えられます。しかし、結核等の感染症は日本の戦後復興とともに激減していきます。変わって増えたのは癌、脳卒中、心臓病であり、保健所の役割が薄れていきます。さらに老人保健法が昭和57年に施行され、保健活動の中心は、保健所から市町村に移行していき、平成6年保健所法が改正され地域保健法とされ、その中で市町村保健センターの役割も明確になりました。すでに昭和30年代から、保健所黄昏論はあり、公衆衛生に対する悲観論がありましたが、長い年月を経ても何ら変わることなく保健所は黄昏ていったと感じています。
 ただ幸いだったのは、横須賀市は保健所設置市であり、なおかつ市町村業務の母子保健や老人保健事業も行っているので、県型の保健所とは違い、保健師を中心としたマンパワーは比較的充実していたという点はあります。

例えて言うなら 
 感染症法(平成11年施行)は珍しい法律で、前文が存在します。そこには「人類は、感染症により多大の苦難を経験してきた。感染症の流行は、文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言える。過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対する差別や偏見が存在した事実を重く受け止め今後に生かさなければならない。患者等の人権を尊重し、良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応する(一部略)」とされています。感染症の根本部分について、また保健所職員の心構えを言っていると思います。今回、病院職員のお子さんが保育園から通園を拒否される、差別や偏見が生じました。また今年1月に、重度障害者がコロナの入院を拒否され自宅待機となったのは、重い障害が原因ではないか、と東京都に説明を求めている、という記事もありました。私の保健所にも心無い電話がかかっており「子どもが通う幼稚園に、病院職員の子どもが通っていて危ないから来させないよう保健所から指導しろ」と言うのです。戦争中じゃあるまいし、どういう人権感覚をお持ちなのでしょうか。でもそれが現実です。この法の前文は、社会全体に行き渡らさなければならないのです。おそらくそれも保健所の仕事でしょうけれど。
 保健所職員がすべて前文を読んでいるか、というと定かではありませんが、感染症法で人権を抑制しているんだ、という意識は皆がもっています。ところが余りの陽性者の多さに、陽性患者数という波に、保健所職員がのみ込まれていく感覚で、誰に言うでもない助けてくれという気持ちを皆が抱え、カミュが言うところの「不条理」な状況になったのです。その状況で、前文を説かれても、分かってはいても、職員の気持ちは、何ら元気が出ることはありませんでした。
どのように立て直すか
 今後のコロナ感染症の動向は、どうなるかは分かりませんが、世界中は元通りの経済活動再開で動き出しました。何事も無かったようになる日も近いかも知れません。ですが、健康危機管理は(現政権は安全保障には一生懸命ですが)、より現実のものとして備えておく必要があると思います。でも今の状況は、全国各地の保健師が耐えられなくなり退職して、各地で欠員状態になり、立ち行かなくなっています。正規職員採用の年齢制限を無くした自治体もあります。職員を使い捨てる感じがプンプンして、気分が悪い採用計画です。この状況をまずどうやって立て直すのか、真剣な議論が必要です。そして立て直した後の、保健所と市町村の保健職場のビジョンを明確に打ち出すべきです。忘れないうちに取り組んでいただきたいと思います。そのビジョンは、保健所と市町村保健職場だけで実施出来るものではありません。当然に自治体全部の部署、医療機関の皆さん、そして地域機関や企業や住民の、役割および協力して欲しいことを含んだものでなければならないと思います。
最後に
 私はこうした経験をさせていただきましたが、もう保健所職員として第一線に立つことは出来ません。なので、外からの応援団として、このコラムも書かせていただいたつもりです。多くの方に読んでいただき、参考というより「昔にもこんなことがあったんだ」と思って、開き直り方、気持ちの持ち方を、その時考えていただけたらと思います。横須賀市ではありませんが、しっかりした職場では、保健師同志、毎日ミーティングをして辛いこと、困ったことを全部吐き出すようにしていたと聞きました。一人では何も出来ない状況で、ひとりぼっちになるのはとても辛いことです。とても忙しい時に、正論ばかり言われても、上司も対応に苦慮するだけでしょう。だからと言って何もしないのは罪です。そういうとき、昔の保健所の人はこう言っていたと、このコラムを引き合いに出してください。

 最後にコラムを閉じるにあたり、お伝えしたい言葉があります。カミュのペストの中で、主人公の医師 は「ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです」と言います。誠実さとは、との問いに「僕の場合には、自分の仕事を果たすことだと思っています」 と答えます。私は保健所職員として自分の仕事を果たす、病院やクリニックの職員、救急隊、施設職員、保育園、企業、地域住民すべての人が誠実に向き合い、取り組むことだと思います。ですが、このような不条理なコロナ禍の状況では、みんなその波にのみ込まれて溺れてしまい、勝手気ままな行動をしがちです。一番それが、未知の感染症の厄介なところだと思います。
 もし、保健所がこうした健康危機管理を想定したビジョンが策定できたなら、そのビジョンを地域に少しでも浸透させること、感染症法前文の精神を誠実に貫いていくこと、それが保健所のあるべき姿だと私は思います。                 (番外編につづく)